March 05, 2007

亀蔵日誌

 亀蔵は、猛る風の音に目覚めた。明日は、第5回目の手術の日である。
 彼は、何かあるごとに新しい下着を身に付け、いつでも死に際は綺麗でありたいと願っていた。 それは、自分の血に脈々と受け継がれる武士の魂だと思っていた。
 皮膚の表面のこととはいえ、激痛の20分である。並大抵の人間なら、1回は耐えられても、2度3度は麻酔をせねば耐えられぬ。
 手首の輪ゴムを引っ張って、ぱっちんと弾き、あん と小さく叫んだ ちづるを思い出す。 その蚯蚓(ミミズ)腫れを見つめながら、亀蔵さんって強いのねと言った、その言葉を思い出す。
 明日、手術を受けたら、まだ血の乾かないうちに会いに行こうか。それとも、3、4日後に瘡蓋(カサブタ)の取れかけに会いに行こうか。 いやいや、まだまだ。逸(ハヤ)る気持ちを抑えながら、例の部屋を整頓し始めた。
 死ぬるほどの思いで受ける何100発のレーザー光線。 彼は、身支度を整え、定位置の三角木馬に跨って、ドラックストアで一番高かった日焼け止めクリームを右の顔に塗りこんだ。
 丁寧に、丁寧に、しかし右側にだけ。
 亀蔵の口から昭和の歌謡曲のハミングが漏れてきた。



January 10, 2007

亀蔵日誌

 しかしこの4度目の手術は形も気持ちも今までとは違っていた。
 亀蔵は、術前に医者に懇願した。麻酔はしたくない。だが回を重ねるにしたがってあの激烈な痛みが心底恐ろしく、つい身悶えて先生の手元が狂っても申し訳ない。どうかこの身を拘束して欲しいと、取り出した荒縄で自ら両足首を結わえた。それから縄を差し出し、両手首を結わえてくれと差し出した。
 医者は、くぐもったその低い声と小さな瞳の怪しい光に惑わされたように、そのごつい両手首を縛り上げた。
 ついでに写真を1枚撮ってくれという頼みには やっと我に返り、断固撥ね付けた。
 SMプレイではないのだ!一括した医者の両目に一瞬赤い炎がちらついたのを亀蔵は見逃さなかった。
 そして、レーザー光線は放たれた。気のせいかいつもより念入りに数多く打たれているような気もする。
 激烈な痛みが体を硬直させ何度も気を失いかけながら30分程のレーザー照射が終わった。
 終わりました。ありがとうございます。医者の声も、亀蔵の声もかすれ二人の鬩ぎ合いは幕を閉じた。
 亀蔵の頬を幾筋も鮮血が伝い、彼はついに落ちていった。看護婦ももはや起こそうとはしない。
 疲れ切った戦士に無言で優しく包帯を巻きつけた。

January 09, 2007

亀蔵日誌

 師走に入り、ちづるは忙殺されていた。あれもこれもと膨らんだ頭は今にも爆発寸前だった。
 ふと帳面から目を離し庭先を見ると、雪の無い風景があり、冬囲いの縄のくくりが気にかかった。亀蔵とは比べ物にならぬほどキッチリと芸術的な縛りだった。彼は庭師ではなく、何でも一応に出来る器用な男だった。
 ああ、亀さんはどうしているのだろう。ちずるは気になったら、いてもたってもたまらずに手紙をしたためた。
 今年は雪も少ないらしく、屋根の雪もお隣にはかかりそうもありません。亀さんが来られなく困っていたので、丁度良かったかもしれませんね。ところで腰の具合は如何でしょうか?リハビリ頑張って下さい。お庭仕事が出来るのは来春のことかしら。というような内容だった。

 亀蔵は奮起した。姐さんに誉められる仕事がしたい。そして、例の妙なトレーニングルームで吾身を責めつつ
鍛えつつ、第4回目の手術日を迎えたのだった。
 今、亀蔵はちづるの手紙を懐に忍ばせ白い天上を見つめている。やがて、看護婦は彼の目を塞ぐ。そしてそれが始まるのはほら、すぐのこと。
 亀蔵は武者震いした。


November 26, 2006

亀蔵日誌

亀蔵は、座敷牢の高窓から十三夜の月を見上げていた。月光に照らされたプロフィールには、春先までの青黒さは消えている。
最初の手術から半年が過ぎ、医者の告知どおりにその変化は訪れた。手鏡を持ち上げ、満ちきらぬが十分な月の明かりでまじまじと顔を見つめた。
女房が亀蔵を呼んでいる。おう、と返事をし、首に掛かった鎖を外し、跨っていた三角木馬をそろっと下りた。
もう一度手鏡を覗き、ふーっと長い溜息の後、手かせ足かせをはずし、それをきちんと元の場所におさめた。
格子の戸を開け、部屋の外から閂をはめ、たたんでおいた着物をまとった。
伊賀の亀蔵は忍びの血が流れている。
定期的に訓練と称して自ら座敷牢で鍛えているようだ。
が、現代そのような指令は亀蔵には来ない。
まったく彼の趣味の部屋になっていた。
そして亀蔵は、女房に頭が上がらない。竹屋の家の、亀蔵自らセットした竹のトラップを己の尻に刺し、万事休すを助けてもらったのは、まだ蟋蟀(コオロギ)の鳴き交わす九月のこと。
日の出に照らされたあの時の女房の般若のような顔は、時々夢にうなされる。
亀蔵、ぶるっと身震いし、遅い夕食の膳についた。


October 26, 2006

亀蔵日誌 亀蔵の不幸

夜明けまで時間が無い。また暫く此処には来れない。亀蔵は計画通り、今度は家の反対側から抜け出ようと思った。そこには自分で作ったトラップがある。自分が守れない分、しっかりと外敵除けをしておきたかった。そこんとこは非常に責任感が強い。
 帰るほうの芝生を見ると、なにやら赤いものがちらちら見える。未だ深い闇の中、ちょとした明かりも恋しくなり、夏の羽虫のようにそれに近づいていった。
 おお、暖かい。炭の匂いじゃ。姐さん火の始末もせんで寝てしまったのか。 と、一歩踏み出した途端、向う脛をしたたかに打ちつけた。バーベキュウコンロだった。叫び声を噛殺し倒れそうになって真っ赤に熾きた炭の入った七輪に突っ込みそうになり、ヤッとかわして、やれやれと思ったその足元には、パークゴルフ用のホールがぽっかりと口を開けていた。 もちろん彼の地下足袋の足はずっぽりとはまってしまった。
もう腰砕けの亀蔵は泣きそうになった。とにかくこの家を出よう。
 夢中で駆け出したのは気持ちだけ。身体はついていけない。薔薇の棘で引っかき、物干しのコンクリートの台につまずき、彼の中でもっとも重要なトラップの脇を過ぎた。
 なんとそこには般若のような形相の女房 忍が待ち構えていた。
 亀蔵はひるんで後ずさった。
自分でこさえたトラップの、鋭く尖らせた竹の一本が、尻に思いっきり突き刺さったのだった。

September 21, 2006

亀蔵日誌

 なにせ狭い庭、あっという間に桜の根方にいた。幹を撫でさすると感覚でそれだとわかる。
 桜よ、戻ってきたぞ。お前に落とされた亀蔵じゃ。桜は落とした覚えはない。有頂天になった、亀蔵が勝手に木漏れ日に目をくらませて落ちただけなのだが。
 彼は語りかけた。覚えているか。わしは、あれから病院の寝台の上で来る日も来る日も『日焼け止めクリーム』を塗りつけた。3回目の手術はもうすぐぞ。腰がもうすこしましになったら白昼どうどうと、姐さんに見せに来る。長年張り付いていたこいつはレーザー光線に屈服するんじゃ。以前の半分の黒さだ。バッチンバッチンの拷問もあと3度も耐えると、生まれたての皮膚が甦るんじゃ。
 実際、レーザー手術を2度受けて、右の頬は大分色が落ちてきている。あの痛さを思い出すと彼はなぜか恍惚とした表情を見せる。痣の深いところに届くように打ち付けるレーザー光線は、太い生ゴムを思い切り引っ張って、それも何十発も連続に打ち付ける感じだそうだ。
 もちろん、麻酔術もある。苦痛にゆがみ、恐ろしい唸り声を上げる男を見て医者とて手元が狂ってしまうではないか。暗闇の中、愛おしそうに桜をかかえ、独白した亀蔵の耳に一番鶏の声が聞こえた。桜よ、さらばじゃ。

September 12, 2006

亀蔵日誌

 亀蔵は、漆黒の闇に踏み出した。目を瞑っても何歩進めば何処に辿り着くか覚えていた。まず、自分を振り落とした あの桜の樹に訊ねたかった。 足袋を履いた足元は実に静かに、虫の音を途絶えさこともしない。 左手を壁に這わせながら一歩一歩進んでいく。
 目標まで約15メートルほどか。 体中の神経を集中させ闇を睨んだつもりだが、蜘蛛の巣の真ん中に顔を突っ込んでしまった。亀蔵は、蜘蛛が大嫌いであった。
 わしの顔に何をする とばかりに闇雲に両手を振り回したが、なにせ腰は本調子ではない。 バランスをくずした足は、不用意になって、思い切り落とした先に金属の冷たいものを感じた。が、時すでに遅し。
 ちづるがしまい忘れた鍬が、刃先を地面から斜め30度程にあげて立てかけてあったのだ。
 鍬の柄は、亀蔵の左側頭部を強(シタタ)かに打ち付けた。 目から出た火花で、辺りが見えるかと思うほど激しい痛みを感じた。鍬の存在を知らない亀蔵は、もうパニックである。声にならない声を必死に堪えながら、桜に向かって走った。
 亀蔵落ち着け、トラップはまだまだあるぞ。

September 01, 2006

亀蔵日誌 ちづる

 まったく日の光の届かない深海に眠れるがごとく、目を覚ましてもどちらが上か下か、いったい何時頃かも判らない、そんな闇の深い夜だった。
 2階の寝室の窓のカーテンを開けると、庭に置きっぱなしにしたバーベキュー焜炉と七輪の炭の残り火が、赤々と燃えていた。あれは、テレビで見た外国の活火山の溶岩の色みたいだ。全てのものが焼き尽くされ、どろどろと溶ける様を想像して空恐ろしくなった。
 日曜日、ちづるは精力的に庭仕事をこなし、ついでに知人を招いてバーベキューパーティをし、調子に乗ってワインを1本空け、片付けも中途半端に床についたのだった。 
 ああ、今何時かしら。月も無く虫の声だけ。お陽様が上ったら、焜炉と成吉思汗鍋と七輪片付けなきゃ。 そうだ、鍬(クワ)も出しっぱなし。 お母さん、刃を踏んだら頭打ち付けちゃうわ。そういえば、昨日、落とし穴に落ちた子いたし、埋めなくちゃ。
 いろいろ明日の仕事の段取りを考えているうちに、真っ暗闇は ちづるを又、深い海の底に引きずり込んだ。

August 21, 2006

亀蔵日誌 忍

 亀蔵の妻 忍はただならぬ気配を感じて目を覚ました。時はまだ、午前2時半を過ぎたところだ。
 月の無い闇は深く、蛍光の時計の文字盤だけが光っていた。窓際のカーテンを開けてみると、あるべきところに静香がない。窓を開け身を乗り出し覗きみると、ちょうど向こうの角をウインカーを点滅させて曲がって行く車が見えた。運転席のシルエットは、裏の病院で眠っているはずの亭主のものだった。
 おのれ、亀蔵! 忍は素早く黒装束に着替えた。おとなしくしていれば、一月もたたぬうち退院だ。こんな夜中に抜け出してまた怪我でもすれば、こっちだってたまったものではない。 
 忍は普段、亀蔵と一緒に着物の染み抜きの仕事をしていた。時勢柄、めっきり注文は減ったといえども、二人でこなしていた仕事を自分だけですると案外大変なものである。かねてから計画していた井戸端会議の友との旅行にも行けぬし、亀蔵の庭仕事やらなにやらの副収入も入らぬ。
 亭主の行きそうな場所は解っているつもりだった。真っ黒ないでたちの忍は迅速に物置にしまって置いたオートバイ、ハヤブサにまたがり亀蔵の後を追った。
 伊賀の亀蔵、女房はくのいち。 したたかな女である。

August 14, 2006

亀蔵日誌

 草木も眠る丑三つ時。亀蔵は、病院のベッドに そおーっと腰掛けてみた。折れた腰骨もどうにかくっついて最近はリハビリに精を出している。 毎日うだるような暑さが続いていたので、やっと吹き込んだ冷たい夜風が彼を生き返らせた。
 そうだ、外を歩いてみよう。寝巻きを脱ぎ捨ていつもの夜半の外出用の黒装束に着替えた。なんでそこまでするのか亀蔵。 彼はやはり気になっていた。 向かった先は 竹屋の家。明け方の回診までには戻ろうと思い、まずすぐ病院の裏にある自宅の庭先に止めた車に乗り込んだ。愛車はプリウス。ハイブリットでサイレントなそれに彼は静香と名づけていた。静香はじつに静かに発進した。
 まだ、腰は本物ではないが調子が良い。30分ほどして、到着した。近くの川沿いの小道に静香を停め、腰を気遣いながら竹屋の玄関先に立った。コオロギが鳴いている。懐かしい匂いだ。虫以外は全ての生き物が眠っていた。
 明け方前。その30分で庭を確認しよう。向かって左には自分の仕掛けた竹のトラップがある。まだ暗いから右から入ろう。竹屋の家の周りは全て知っていた。
 しかし、ここからが彼の悪夢の始まりだったのだ。続く


July 26, 2006

亀蔵日誌

 婆が不思議そうな顔をしたとき、後ろから音も無く忍び寄る亀蔵の妻。 奥様、こんな暑い日に遠くからすみませんねえ。何か気配を殺した動きは ちづるをどきりとさせ、やはり伊賀さんの奥さんも『くのいち』なのかしらと、妙に納得させた。 亀蔵の手術は別に秘密にしていたわけではないが、婆には言っていなかった。そっちで女同士話はじめたので、ちづるは亀蔵の顔を覗き込んだ。
 ほら、ここいらへん。なにか白く開いてきたと思いませんか。 右の額から頬を通る 黒い痣はそういえば薄くなってきた気がする。 反対に窓際で日光を浴び続けた左の頬は、夏っぽく日焼けをしていた。
 亀蔵は枕の下から携帯電話を取り出し、もそもそといじりだした。ほらこれが二月前。そして一月前。これが、最近と写真を選びながら見せてくれた。
 ちづるは顔の変化よりも、携帯電話で毎日写真を撮り溜めた亀蔵の執念に驚き、さすが亀蔵と感心した。
 姐さん、九月に入ったらもっと白くなるよ。そうして又、ぱっちんぱっちん拷問な手術を受けるんです。時をおいて、あと3回。
 あれを思い出し恍惚と物語る亀蔵。そろそろ、おいとまと、二人は病室を後にした。


July 25, 2006

亀蔵日誌

 日曜日、竹屋の婆はちづるを供に亀蔵の入院先を訪れた。竹屋の仕事を頼んだときは、四季を問わず亀蔵の昼飯には大抵 鰻重を用意していたので、この日は丁度土用の丑の日に当ったので、見舞いの品は鰻弁当にした。
 桜の樹から落ち、結局腰の骨を折る重症をおった亀蔵の入院は長引いていた。
 婆は鰻重を差し出しながら、亀さん、如何ですかと訊ねると、亀蔵は満面の笑みで、そしていつもの 『くぐもった声』で、ああ、鰻ですか。土用の丑ですね。こいつは暫くお目にかかっていない。ご馳走だ。と、ベッドの脇机に嬉しそうに置いた。 へい、日一日と痛まなくなってきましたよ。で、お庭はどんな風ですか。と残した仕事をずいぶん心配そうに聞いた。
 婆は、あんた そんなこと気にしなくていいから早く治しなさいよ、と言い、ちづるは その後ろで静かに『百合の花』の様に佇んでいた。二人で夏の薄物を着た『小粋な』姿の見舞い客は大部屋の他の入院患者になんだか誇らしく感じた。
 そして小声で 姐(ねえ)さん わしの顔どうですか、と訊ねた。
 

July 17, 2006

亀蔵日誌 ちづるの事件簿のつづき

 昼前に目が覚めた。居間に下りる。良く眠ったとばかりに大きく伸びをしながら庭をみると、ミニトマトが3つ真っ赤に色づいていた。 他の青い実を落とさぬようにそっと摘む。 さっと洗って取りたてを味わいながら、今朝の電話を思い出していた。
 あれから、あの夫婦はどうしているんだろう。 真夏のじりじりした太陽は、厚い雲に覆われ空気は蒸していた。一雨来る。すると一雨より先に、先程の同じ番号から携帯電話が鳴った。
 「阿部の家内です。先程は取り乱して申し訳ありませんでした。」 先の声は、ずいぶん落ち着いていた。いいえ、大丈夫ですよ、と答えながら、どう言ったら相手は興奮しないかと言葉を選ぼうとしたのだが、他所の奥方からこのような苦情が来ることは稀なので本当に困ってしまった。
 「実は、以前にもこんな事がありまして、又かと思ったらついつい主人を問い詰めてしまいました。」 なんと、自宅に女を連れ込み情事の最中に出くわしてしまった、ずいぶん気の毒な過去があったそうだ。
 お気の毒にと答えながら『英雄 色を好む』とは良く言ったもんだと思った。 実際、彼は良く働き稼ぎ非常に精力的な男だから。
 彼女の傍で、愛らしい子供の声がする。
 ちづるは、阿部家の幸せを心から願った。夕立が辺り全てを打ち付けた。

亀蔵日誌 ちづるの事件簿

 深い海に眠れる感じ。心地よく、時間、空気、寝具、周りのもの全てが、疲労困憊した身体を そっと 守るように まったりと 纏わり付く。
 携帯電話着信音6番は、その最も深い眠りを無残に切り裂いた。  8時41分。 ちづるにはまだ十分に深夜帯である。
 液晶画面には、阿部慎太郎様 とある。 一昨夜、執拗な誘いを断った店の客であった。 寝起きの擦れた声で、もしもし、どうしましたか?と言った。
 彼は、直に本題に入った。「ママ、昨日俺はちゃんと一人でホテルに帰って寝たよね。ママは、泊まりになんか来ていないよね。」 あれほど執拗に誘った彼の作戦は失敗に終わっていたので、かえって彼の声は実際強きだった。 「ちゃんと妻に話してくれないか。」
 向こうの声が、女性に変わった。若くて張りのある聡明そうな声が響く。 「主人を問い詰めました。何もないと言うので、それなら そのひと に電話しなさいと言いました。」 ひとしきり それまでの経緯を話してとりあえず気が済んだのか、彼女は「朝早くすみませんでした。」と受話器を置いた音がした。

 ちづるは、なにがなんだか解らぬままに、考えるも面倒で また深い眠りに落ちていった。

July 10, 2006

亀蔵日誌

 あんた、そんなに慌ててどうしたの?と、竹屋の婆。おじさんお昼? ああ、あの人さっき、桜の枝をはらってて落っこっちまってね。ええっ! 腰を打ったようだよ。今さっき帰ったとこ。 ちづるは庭に出てみた。天を突くように伸びた桜の根元には、ばっさり切られた枝が散らばり鋸が投げ出されたままになっていた。亀蔵の落ちたらしい痕跡 地面の穴などはもちろんなかった。

 亀蔵は、本当に気持ちよく仕事をしていた。生い茂った枝の隙間から空が青く嬉しかった。ぎらぎらの太陽もかかって来いと思った。 そうしたら、本当にかかって来られた。木漏れ日が、あのレーザー光線のように彼を射落とした。
 落ちながら、彼は願った。どうか『わしの顔だけは傷つきませんように!』 もともと運動神経の良い男。願いは叶ったが、腰をしたたかに打ちつけた。
 そうして今、彼は病院のベッドの上にいる。枕元には大事そうに『日焼け止めクリーム』が鎮座してあった。つづく

●6月19日、23日、24日、26日、7月4日と書いてきたが、自分でも何を書いたか忘れてしまいそうでいつでもすぐに読めるようメモる。実際に亀蔵の変化が起きるのは9月に入ってのことであろう。乞うご期待。私も期待している。