July 20, 2008
日曜の夜にゆっくり
明日が休みだと思うとゆっくりできます。なんとなく致福のひと時。。
ママの見ている篤姫関係のHPを見ていたら
にわかに脚光を浴びているのが小松帯刀(たてわき)という人物。
坂本竜馬をかくまったり、薩摩、長州、土佐を結びつけた人らしいです。
やはり天璋院はかなりの才媛だったようで
江戸城明け渡しの交渉を西郷隆盛と行ったらしい。
刺しで。
西郷隆盛は天璋院篤姫が大奥に輿入れする時に
調度品を調達した人物。
日本陸軍の初代大将になった人ですね。
明治政府の陸軍の編成でもめて、失脚するのですが。
開城された江戸城はその後、廃墟のようになるようです。
外国人写真家が撮影した写真が残っているのですが
なんとももの寂しい「荒城の月」の歌詞にでてくるような
感じです。
生麦事件というのを聞いたことがあると思いますが
英国人4人が馬の遠乗りの帰りに島津藩の行列を邪魔して
切り殺されるのです。
実際には、やはり英国人達が大名行列を軽んじて起こった事件のようです。
同日に米国大使達もこの行列にであったらしいのですが
馬を下りて道を譲ったことで、問題はおきなかったようです。
この頃の西洋列強の人達は清国での勝利の経験で
東洋人達を蔑んでいたいたようです。
鞭で叩けば、言うことを聞く人種だと思い込んでいたようです。
然しながらこの英国人達は事件後も長く日本に住み続け
日本を嫌いにならなかったようです。
生麦事件の後、薩摩英国戦争が起こるのですが
もちろん、最新式の英国戦艦に薩摩の大砲は歯が立たないのですが
それでも天候の悪さや、薩摩の大砲の命中精度の高さに救われ(訓練が行き届いていた)
英国艦隊は攻撃を諦め引き揚げていきます。
これがきっかけで
英国は、日本を清国と同様に扱うことをしなくなります。
また、薩摩は攘夷(鎖国を続ける)ことを止めます。
こんな話は、学校の日本史ではなかなか教えないと思います。
この続きはまた。
Comments
No comments yet
トラックバック
このエントリにトラックバックはありません
このトラックバックURLを使ってこの記事にトラックバックを送ることができます。
もしあなたのブログがトラックバック送信に対応していない場合にはこちらのフォームからトラックバックを送信することができます。.